こんにちは!
興味があって、安全確保支援士の合格を目指しています。
多くの方々進めている「情報処理教科書 情報処理安全確保支援士」、通称「上原本」(2021年度版)を200ページほど読みました。
解説がキッカリ760ページのこの本、分厚いうえに内容が超濃密です。
読み進めると大きな問題に気が付き、避けられないレベルになりました。
この「上原本」、とにかく「読みづらい」のです。
具体的には「日本語が飲み込みにくい」のです。
そこで、ちょっと休憩して「読みづらさの正体」を考えました。
肝心の中身の前に読みづらさに阻まれるのは本意ではありません。
逆に、この読みづらさを除去できれば、肝心の中身に集中できそうです。
今は「読みづらさ」が、かりそめの「わかりにくさ」を生んでいます。
ということで、今回は情報処理安全確保支援士の通称「上原本」について「読みづらさの正体」と対策を考えます。
読みづらさの正体は?
「上原本」の「読みづらさの正体」を考えます。
読みづらい例と読みやすい例
「上原本」の文章がどれだけ飲み込みにくいのか考えるため、簡単な例を作りました。(書籍の文章を載せられないので)
桃太郎の初めの部分を「上原本」風に書きます。
むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、おじいさんとおばあさんがその時点においてあるところ、すなわちある場所に住んでいたとされている。
おじいさんは山などへ芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施しに行くとともに、おばあさんもまた川などで洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に行く必要があった。
川においておばあさんが洗濯などを行っているところに、どんぶらこ、どんぶらこ、と、川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きなサイズの桃が確実に流れてきた。
そして、おばあさんは川上から流れてきた桃を食べるような欲求などが発生したために、前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、桃を持ち帰った後、その桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、実際に切った際に該当する桃の中から元気な男の子が飛び出してきた。
両者の間に子どもがいなかったということもあり、おじいさんとおばあさんは非常に大きな喜びなどを感じた可能性があるとともに桃の中から生まれてきた男の子の名前として「桃太郎」という名前を付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた。
何を言っているのかわかりますか?
(というか、そもそも読む気になりましたか?)
正直、「上原本」はこんな感じで、あまり誇張していません。
ちなみに同じ意味のシンプルな文章は次のとおりです。
むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいた。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行った。
おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこ、と川上から大きな桃が流れてきた。
その桃を食べようと、おばあさんは家に持ち帰った。
桃を切ると、中から元気な男の子が飛び出してきた。
子どもがいなかったおじいさんとおばあさんはとても喜び、桃から生まれた男の子に「桃太郎」と名付けて大切に育てた。
これなら、読んだ順から理解できてスッキリですよね。
読みづらさの原因
「上原本」風の分かりにくさの原因はなんでしょうか?
次の赤文字のところを除去するとどうでしょうか?
赤文字を無視して黒文字のところだけ読んでみてください。
むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、おじいさんとおばあさんがその時点においてあるところ、すなわちある場所に住んでいたとされている。
おじいさんは山などへ芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施しに行くとともに、おばあさんもまた川などで洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に行く必要があった。
川においておばあさんが洗濯などを行っているところに、どんぶらこ、どんぶらこ、と、川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きなサイズの桃が確実に流れてきた。
そして、おばあさんは川上から流れてきた桃を食べるような欲求などが発生したために、前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、桃を持ち帰った後、その桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、実際に切った際に該当する桃の中から元気な男の子が飛び出してきた。
両者の間に子どもがいなかったということもあり、おじいさんとおばあさんは非常に大きな喜びなどを感じた可能性があるとともに桃の中から生まれてきた男の子の名前として「桃太郎」という名前を付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた。
どうでしょうか?
先ほどのシンプルな文章に似ていませんか?
「てにをは」が不自然になるところもありますので、緑文字で少し足します。
(先ほどの赤文字はグレーにします。)
むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、おじいさんとおばあさんがその時点においてあるところ、すなわちある場所に住んでいたとされている。
おじいさんは山などへ芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施しに行くとともに、おばあさんはもまた川などでへ洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に行く必要があった。
川でにおいておばあさんが洗濯などを行っしているところに、どんぶらこ、どんぶらこ、と、川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きなサイズの桃が確実に流れてきた。
そして、おばあさんは川上から流れてきた桃を食べるような欲求などが発生したために、前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、桃を持ち帰った。後、その桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、実際に切るとった際に該当する桃の中から元気な男の子が飛び出してきた。
両者の間に子どもがいなかったということもあり、おじいさんとおばあさんは非常に大きなとても喜びなどを感じた可能性があるとともに桃の中から生まれてきた男の子の名前としてに「桃太郎」という名前を付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた。
どうでしょうか?
シンプルな文章とくらべて、多少の順序や表現の違いはありますが、同じくらいに読みやすくなりました。
ここまで見て、読みづらさの正体がわかったと思います。
つまり、正体は「あってもなくてもいい(あるとノイズになる)表現にまみれている」ことにあります。
※実は他にもいくつか原因があり、後述します。
読みづらさの詳細
さて、読みづらさの原因がわかったところで、原因の詳細を確認します。
「あってもなくてもいい(あるとノイズになる)表現」(赤文字)をもう一度見てみましょう。
むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、おじいさんとおばあさんがその時点においてあるところ、すなわちある場所に住んでいたとされている。
おじいさんは山などへ芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施しに行くとともに、おばあさんもまた川などで洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に行く必要があった。
川においておばあさんが洗濯などを行っているところに、どんぶらこ、どんぶらこ、と、川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きなサイズの桃が確実に流れてきた。
そして、おばあさんは川上から流れてきた桃を食べるような欲求などが発生したために、前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、桃を持ち帰った後、その桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、実際に切った際に該当する桃の中から元気な男の子が飛び出してきた。
両者の間に子どもがいなかったということもあり、おじいさんとおばあさんは非常に大きな喜びなどを感じた可能性があるとともに桃の中から生まれてきた男の子の名前として「桃太郎」という名前を付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた。
赤文字のノイズ表現は、いくつかに分類できます。
順序がかわって「読みづらい」かもですが(すみません...)、次のとおりです。
- 文意から当たり前すぎて補記は不要
- その時点において
※あえて書くなら「その時点で」 - 、すなわちある場所
※あえて書くなら「つまりある場所」 - 川上から流れてきた
前の文で「川上から」と言っているので再掲不要 - 両者の間に
文意から言わなくてもわかる - 桃の中から
同上
- その時点において
- 単純になくていい表現
- 山などへ
ほかにもあることを伝える正確性より、文意をあいまいにするデメリットが強い。
ほかになさそうなら「など」は不要。
ただし、例の一部をいくつか並べた末尾は「など」でも自然。
※「上原本」は本当に「など」が大好きなようです。 - 川などで
同上 - 大きなサイズの桃が
冗長 - そして、
冗長 - ということもあり、
あえて書くなら「ため」で十分だが、除去すれば後続の名詞とつながるので冗長
- 山などへ
- 無用な繰り返し
- に行くとともに、
「行く」ことは文の後半で言っているので「~に行く」は「~に」と場所を示せば十分。
「行く」「行う」と一緒に使うのもパッと見わけずらいので避けたい。
- に行くとともに、
- 過剰な強調
- 住んでいたとされている
文意から「住んでいた」ことがわかれば十分で「されている」ことは重要でない - に行く必要があった
文意から「行った」ことがわかれば十分で「必要がある」ことを強調する「必要がない」
※上原本の多くの文末は過剰な強調です。例えば「ことが重要である」「ことを要する」「を徹底する」のほか「を徹底する必要がある」といった合わせ技もあります。そもそも参考書は「必要」で「重要」なことを書いている(でなければ別の問題ですが...)ので強調は不要。 - 桃が確実に流れてきた
冗長。
※上原本は「確実に」が好きみたいです。ほか「悪質な」「巧妙に」など。
- 住んでいたとされている
- もっと簡潔な語句がある
- おばあさんもまた
「も」「また」は類似表現なので「も」で十分だが、この場合は主語の初出の動作なので「は」が好ましい - 川において
場所を示す「で」で十分 - 洗濯などを行っているところに
「など」は不要。
「行っ(行う)」は「し(する)」で十分。
「~しているところに」の「ところ」は場所でなくタイミングを表すので「~していると」で十分。 - 発生したために
「~ために」は「~ため」で十分 - 非常に大きな
「とても」で十分 - の名前として
後ろで「名付ける」と言っているので、ここでは「に」で十分 - 「桃太郎」という名前を付け
「~という名前を付ける」は「~と名付ける」で十分
- おばあさんもまた
- 文を分けるべき
- 桃を持ち帰った後、その桃を
「、」の前後で時間がたっているのと、そもそも長いので「桃を持ち帰った。桃を」と分ける(分けると「その」は冗長)
- 桃を持ち帰った後、その桃を
- 冗長な表現の組み合わせおばけ
- むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、
- 「一般的に、」は冗長。「一般的」さがポイントでない。
- 「など」は、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「のことについて」は「のことを」で十分。
- 「このように」は「こう」で十分。
- 「呼ばれている」は「いう」で十分。(多くの「~ている」は不要)。
- 「のであるが、」は「が、」で十分。ただしこの例の「が」は逆説ではないので、「のであるが、」まるごと不要。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくてもわかるので不要。あえて補記するなら丸カッコでくくる。「むかしむかし(読み手が~の昔)」
- 芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施し
- 「など」は冗長。
- 「行う」は「する」で十分なので「芝刈りする必要が」とするか、「芝刈り」が動作を内包するので「芝刈りの必要が」で十分。
- 「必要がある」ことを強調する「必要はない」ので不要。
- 「単独での」は「単独」さがポイントではないので強調は不要。
- 「実施し」は「し」で十分。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に
- 「など」は、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「行う」は「する」で十分。
- 「必要があった」という過剰な強調は不要。
- 「こちらも」は主語(おばあさん)が近いので書かずともわかり不要。
- 「単独での」は「単独」さがポイントではないので強調は不要。
- 「実施する」は「する」で十分。(ほか、「行う」「施す」も「する」で十分)
- 「その場所」は、指し示す「川」の記述が近いので書かずともわかり不要。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きな
- 「のほうに」は「に」で十分
- 「向かって」は方向の「に」(上述)と重複するので不要
- 「タイプの」は冗長。「比較すると」は「比べて」で十分。だが、そもそも「通常のタイプの桃と比較すると」は直後の「大きな」で十分わかるので不要
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 桃を食べるような欲求などが発生したため
- 「ような」と例えたり、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「など」は、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「が発生した」は、発生したことがポイントではないので「の」で十分。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、
- 「冒頭」が「前述」なのは当たり前なので「前述の冒頭でも」の「前述の」は不要。
- 「冒頭でも」の「も」は冒頭「以外に」あることがポイントなら必要だが、そうでないので不要。
- 「解説した」という強調は不要なので「冒頭で触れた場所」くらいで十分
- 「存在する」は「ある」で十分
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、
- 「手段」が「有効」かはポイントではなく、「有効な」ものを説明することが多いので「有効な」は不要。
- 「切ってしまう」は」切る」で十分(「~てしまう」はほぼ蛇足)。
- 「など」は、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「も考えられるが」は「あるが」で十分。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 実際に切った際に該当する桃の中から
- 「実際に」の直後の動作(切る)が仮想的なのかをポイントにしていれば必要だが、そうでないので不要。
- 「切った際に」は「切ると」で十分。
- 「該当する」は、すでに対象(桃)にフォーカスしているので不要。
- 「の中から」は「から」で十分。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- 喜びなどを感じた可能性があるとともに
- 「など」は冗長。
- 前方の「喜び」は感じるものなので、内包する「感じた」と書く必要がない。「喜んだ可能性があり」で十分。
- 「可能性がある」は可能性がポイントではないので不要。つまり「喜ぶ」で十分。
- 「とともに」は同時進行することがポイントではないので不要。つまり「喜び」で十分。
- ...ということで、そもそも、これ全体が冗長なので不要。
- 付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた
- 「など」は、ほかにあることを示唆する必要がなく不要。
- 「判断を行いは「判断し」で十分だが、直前の動詞(名付け)の意味に「判断」が内包されるので不要。
- 「その上で」の強調は不要。なくても十分わかる。
- 「二人で」は直前の主語から自明なので不要。
- 「桃太郎を」は同じ分の前半でフォーカスしており自明なので不要。
- ...と見てきたが、そもそも、これ全体が言われなくても文意からわかるので不要。
- むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、
なお、日本語ではキーワード以外で漢字を濫用すると読みづらいです。
(漢字はキーワードであることが多く、見ためも目立つため。)
読みやすくする対策
読みづらさの正体は「あってもなくてもいい(あるとノイズになる)無駄な表現にまみれている」ことでした。
であれば、読みやすくする対策はズバリ「無駄な表現を消す」です。
ということで私は途中から、蛍光ペンを横に置き、修正テープを片手に読み進めています。
修正テープで「無駄な表現を消す」のです。
桃太郎の例で「無駄な表現を消す」と、次のようになります。
(「てにをは」訂正の緑文字も書き入れます。)
むかしむかしとは一般的に、読み手が生まれる以前などの昔のことについてこのように呼ばれているのであるが、おじいさんとおばあさんがその時点においてあるところ、すなわちある場所に住んでいたとされている。
おじいさんは山などへ芝刈りなどを行う必要があるために単独で実施しに行くとともに、おばあさんはもまた川などでへ洗濯などを行う必要があったため、こちらも単独での実施をするためにその場所に行く必要があった。
川でにおいておばあさんが洗濯などを行っしているところに、どんぶらこ、どんぶらこ、と、川上からおばあさんのほうに向かって通常のタイプの桃と比較すると大きなサイズの桃が確実に流れてきた。
そして、おばあさんは川上から流れてきた桃を食べるような欲求などが発生したために、前述の冒頭でも解説した場所に存在する自宅にその桃を持ち帰ることにし、桃を持ち帰った。後、その桃を食べるための有効な手段として切ってしまうなどの対応も考えられるが、実際に切るとった際に該当する桃の中から元気な男の子が飛び出してきた。
両者の間に子どもがいなかったということもあり、おじいさんとおばあさんは非常に大きなとても喜びなどを感じた可能性があるとともに桃の中から生まれてきた男の子の名前としてに「桃太郎」という名前を付けるなどの判断を行い、その上でおじいさんとおばあさんは二人で桃太郎を大切に育てた。
とびとびのスカスカで見づらいですが、無駄な表現で文字がびっしりと詰まったものよりマシです。
実際に「上原本」の既読の50ページくらいを修正テープで「無駄な表現を消す」と、かなり読みやすくなりました。
(各ページが1/5~1/3くらいスカスカです。もともと読みやすければ760ページの分厚さにはならなそうですね。)
読み進めるスピードが落ちますが、理解の深さと読み返すときの効率があがるメリットが気に入っています。
まさか母語の参考書で修正テープを使うことになるとは...
資格の勉強では蛍光ペンを常用しますが、修正テープをメインで使うのは初めてですね。
このまま修正テープで無駄な表現を消しながら進めようと思います。
補足: その他の読みづらさ
日本語の表現の以外にも、致命的な読みづらさが根深いです。
主な点だけでも次のとおりです。
- 大半は箇条書きせずに本文に羅列
- 章や節の階層がおかしい (親子関係のトピックを兄弟の章立てにする、別々のトピックを1つの節や段落に書く)
- 図の説明がない(意味や順序の説明)
- ポイントを強調しない (つまり何?が見えずらい)
- 表記ゆれ (いくつかの言い方がある用語を統一しない)
詳しい人が話したことを別の人が聞き取って書かれた本と、特徴が少し似ています。
表現や構成のアンチパターンが凝縮されているので、ライティングのノウハウが整理できるかもしれません。
全編こんな調子なので、学習者としてはつらいものがありますが...
補足: 別の参考書に切り替えて一発合格!
2021年7月7日 追記 現在は上述の「上原本」ではなく、当初の候補だった別の本「セキュリティ技術の教科書 第2版」(以降「長嶋本」と呼びます)に切り替えて学習中です。 セキュリティ技術の教科書 第2版 長嶋本の主な特徴は次のとおりです。
この長嶋本は、本ブログで挙げる日本語の読みづらさもほぼなく、後述する「その他の読みづらさ」も全くありません。 上原本と長嶋本は、完全に真逆です。 なんで初めから長嶋本を選ばなかったのだろう... その理由は次のとおりです。
なお、上原本は、300ページほど学習したところで付き合いきれなくなり、見切りをつけました。 実は、本ブログで対策として挙げた「修正テープで無駄な表現を消す」方法を「上原本」で続けたところ、約60ページで10mもの修正テープを使い切りました... その後も同じペースで無駄な表現が続くほか、各論に入った後にまた概論が来たり、言葉を定義せずちゃんぽんに扱うなど目に余り、非効率だと判断して上原本の使用を中止しました。 本ブログの内容は、日本語表現についてのポイントとして残します。 |
2021年12月17日 追記 令和3年度 秋期 情報処理安全確保支援士 試験に合格しました! これも、この記事でご紹介している書籍のひとつ「セキュリティ技術の教科書 第2版(長嶋本)」のおかげです。 セキュリティ技術の教科書 第2版 合格までに行った大まかなこと:
詳細は次の記事にまとめました。 intellista.hatenablog.com |
まとめ
今回は安全確保支援士の通称「上原本」について、「読みづらさの正体」と対策を考えました。
修正テープで「無駄な表現を消す」ことで、読みやすくなりました。
※この調子で間に合うのかは心配ですが...もっといい方法(いっそ別の本?)が見つかれば試したいです。
ということで、760ページある残りの560ページ、引き続き頑張ろうと思います!